カラダ

「一日の計は朝にあり 一年の計は元旦にあり」

という諺の通り、朝早く起きると一日が長々と感じられる。今日だって、そう。
(歯医者に通うようになって、休日も午前から動かなきゃいけないのもあるけれど。というか、それしかない。)



歯医者の治療は15分かそこらのが何週間も続くのだけれど、それなら一日で数時間やってくれればいいのにとも思う。
ただ、それはそれで口の中が詰め物ばっかりになるだろうし、口もとが麻酔だらけで変なことにもなりそうだし。

やっぱりニッポンの医療は最高ってことにしておこう。



治療している間は自分の口もとも見えなくて。何かが削られ、何かを埋め込まれて。
まるでどんどんと人造人間になっていくような気しかしない。

嗚呼、わたしの身体が西洋医学という遠く海の向こうからやってきた学問に侵されていく。
わたしは東洋の人間、もっと東洋な医学を施されたい。そうだ、ヨガを始めたい。おじさんになっても続けてられる、身体を動かす何かを始めたい。
(まあ、人間ってもともと人が造ったものか…とベッドに横たわりながら黙って納得して解決するのですが。アイアム人造人間。)



歯医者に通うようになったのも何かの縁、ここらで健康診断にも一度行っておこうかとも思う。内科なの?でっかい病院行かなきゃいけないの?

最後に健康診断を受けたのは、大学4年の春。忘れもしない、「貧血」による要再検査。
仕事をするようになってからは行けてないのです。ちゃんと行きたい。ちゃんと生きたい。



で、一年の計は「2月にインフルエンザにならない」。にもかかわらず、つい先週見事に胃腸炎になった。はじめての胃腸炎、あんなことになるのね。
診断されるまではインフルエンザの疑いもあって、元旦から20日で早くも計が崩れ落ちるところだった。あっぶねぇ。



さてと、今日も今日とて新たなお店のハンバーグの味を確かめに、これから行ってくるとします。わたしの胃腸の半分くらいは、ハンバーグでできている。

日々

日々。
何気なく過ぎる一日たちが続くことで、日々になる。


散歩したり、仕事したり、電車に乗ったり、手をつないだり、怒られたり、泣いたり、勉強したり、雨に降られたり、夜空を見上げたり、テレビを見たり、誰かをなくしたり、水が冷たかったり、親や子どもにひさしぶりに会ったり、誰かをお迎えに行ったり、ごはんを食べたり、お給料を貰ったり、選挙があったり、字を書いたり。


事情は人それぞれで、時代にも左右され、上の言葉のひとつひとつも、その人その人にとって異なる意味を持つ。


自分の意思で歩んでいてもそうでなくとも、日々は進む。できることをする。なるべくまっすぐな気持ちでいられたらよい。人のためになるとよい。家族は守りなさい。


この世界の片隅に』、ストーリーにはあんまり触れない。観てみてほしいから。
広島の呉は行ったことがない、広島も一度しかない。その二都市の距離感もよく知らない。


海の近くに山があり、高台からはよい景色。海のない県で育ったから懐かしさを感じるわけではない。ああいう土地で暮らしてみたいと、理由もなくそう思ったりする。
きっと海の幸は美味しい、山にも美味しいものがたくさん。ちっさな畑で野菜を育てて食べる。
山と海かそばにあるのは、呉のほかにもあるのだろう。神戸?三重?ハワイ?尾道?ねえ、ほかにある?


どんな場所でも、どんな時代でも、人は食べる。江戸時代でも、アメリカでも。料理はどこでもいつでもできる、仕事にできる頭と腕があれば尚良い。(もちろんわたしやわたしたちが生きていくために、◯から△にするときに◇を得られる方法は考えなければならない。)



おいしければ、食べてからきっと笑う。
大人も子どもも。日本人も外国人も。
(いっしょに食べれば、多少おいしくなくてもおいしく感じたりもする…笑)


包丁持って田舎から出てきたわけでもないし、東京では友だちにカセットコンロを借りて暮らしていたわけで、なんだか綺麗事ばかり並べていますが今はこんなことを考えながら生きる日々です。僕の、日々です。どこからかやってきた日々、これからどこかへ行く日々。



そして今日は妻の、妻になってから初めてのバースデーを、祝ったりする。ささやかではあるが、心から。

大雪

この冬一番の大寒波…みたいなフレーズは今までに何度も聞いてきたので、どれが一番だったのかよくわかんなくなっちゃいますね。
明日明後日は大雪みたい、自転車通勤なのでツルッとすっ転んで怪我しないように気を付けます。


年越しで新たな気持ちを迎え入れてみたり、成人の日で自分の若かりし頃に思いを馳せたり。
なにかと自分について考える時期でもあるジャニュアリー。御多分に漏れず僕も少し考えてみたり。


28歳の今、2年後は30歳で。

オリンピックがあるだけならまだしも、元号まで変わっちゃったりするみたいだから、なんだか自分も変わってなくっちゃと焦っちゃう。
自分のお店を開くのは簡単ではないだろうから、2年後もまだまだ勉強中だとは思うけど、そう思うからこそどこまで勉強しているのかを明確にしておきたいなという気持ち。
(えい!っていう勢いも大事なので、それはそれで勢いに任せるのも大事ですが…)


洋食屋さんになりたいっていう若者(もはや僕が若者ではないのかもしれないという可能性はさておき)はあんまり出会わないけれど、それぞれの分野で頑張ってるみんなに刺激をもらって、自分なりの伸びしろを見つけていけたら。
食べものや飲みものについて学ぶことも多々あるけれど、そのほかの芸術だったり社会だったりにもきちんと触れて、それも含めて料理にアウトプットできたらいいですね。


たいてい大雪が降った後は空気が澄んでいて、呼吸をするのが楽しくなるのを知っています。台風もそう。
大雪のような勉強の毎日を過ごして、その先にある澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込めるように、大雪も楽しむくらいの心持ちで生きていかなきゃ。

雲は、水。
水なのに、空にある。
空にあって、風に吹かれる。
雲が流れて、風が見える。


空が青くて雲が白い、なにか意味がある?
木が緑で土が茶色い、どんな意味がある?
昔の人たちも見てた、恐竜も。それを見てる。


川が海に繋がって、空から雨が降ってくる。
地球は、なんでまん丸?
他の惑星も、なんでまん丸?


勉強すればわかるんだろうけど、理由を知りたいわけでもない。

ぼちぼち

三年日記を綴っていくことにした。
(このブログのことじゃなくて、アナログな手帳を妻が買ってきてくれた。)


三日坊主な性格は小学生の頃からなので続くのかどうかは闇の中、暗中模索。
妻も書くとのことなので、危ういときにはぜひ尻を叩いてほしいと切に願う。


ブログも昨年の今頃noteに幾つか書いたけれど、それも続かずだった。でも昨年はいろいろ激動の年、事実の列挙を手帳に書き込むので精いっぱいだったのも事実ではある。
出来事の感想や好きな物事に対しての思考、心情の発露みたいなことをする余裕はそれほどなかった。それをこれからここでも。


京都にきてもうすぐ丸三年。
料理の仕事を始めてもうすぐ丸二年。
引っ越しをしてそのうち丸一年。


三年日記を書いているうちに平成という元号が変わりそうというニュースもある。変わってくこともあれば変わらないこともある、変えていくべきこともある。たいへんだね、まあ頑張ろうね。ぼちぼちね。