妻は今、ロンドンにいる。本初子午線。

 

 

僕が寝ていると、彼女が起きている。

彼女が朝ごはんを食べているときには、僕は晩ごはんを食べている。

なんか面白い、おなじ地球にいるのに。

 

 

どっちがどっちだかわからないけれど、どっちかがどっちかより未来を生きている。

 

幸いInstagramにたびたび楽しくやっていそうな風景がアップされるので、楽しくやっているのだろう。ぽつりぽつり、連絡も取っている。元気そう。

 

 

何年とは言わないがほんの十数年前までだったら、遠くに行っちゃった人の様子など知る術もないのだろう。

帰ってくる日をただただ待ち続け、帰ってきたらその楽しかった日々の話を聞くのだろう。

お父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃんは、そういうふうな恋をしたり、家族を待ったりしたのだろう。

 

 

外国は一歩も足を踏み入れたことがないので、どういう気持ちなのかわからない。

朝に出て朝に着く気持ちとか、飛行機で海を越えて国を越える気持ちとか。

 

 

妻って書き進めているけれど、妻とは呼んでいない。

他人に紹介をするとき、「妻」なのか「お嫁さん」なのか、まだはっきりしていないしどちらもむずがゆい。

 

僕は彼女のことを「まにゃん」と呼ぶけれど、まにゃんの親は「まなちゃん」と呼ぶ。

僕がまにゃんの親とおしゃべりするときは、そのときだけ「まなちゃん」と呼ぶ。

ふたりで呼び合うときに、まにゃんは「まにゃんがいい」と言う。

 

 

今日の帰り道、信号待ちをしている間に、まにゃんはどんな存在かなって想像をしてみた。

よく「君は太陽みたいだね」とか「あなたは月のような存在」とか聞くので、夜空をぼんやり眺めた。

まにゃんは星?宇宙?と思ったけれど、それより手前に信号機が見えた。

「あ、もしかしたら信号機かもしれないね」とひとりで勝手に答えを見つけて解決した。

 

 

いっそ月にいてくれたら、この目でそれを見られるのに、日本からはロンドンは見えないや。