夢の後で

最初に言っておくと、この文章をるみさんが読んだら、
「なあに言ってんの!つべこべ言わずに、また明日から仕事がんばんなさい!で、今日王将でいい?食べてくでしょ?」
って言われながら、一杯やってるとーちんが隣にいてiPhoneのことを聞かれる。


そんな愛の溢れる情景を思い浮かべながら、僕は書いています。


◎◎◎◎◎



『夢が叶った後のこと』って考えたりしますか?



僕はします。
というか、今がその“後”なので。



テレビを観てばっかりで育って、テレビを作れちゃったから。
栃木と埼玉の間の群馬で育って、そんなんできるとも思わずに東京に出てきて、
そんなんできちゃったときの、どうしようって気持ち。



普通だったらそこに留まったり、そこで一番を目指したりするのだろうけれども。
「一番になる」という頂上を目標としていなくて、「関わる」という裾野を目標としていたから、
その裾野にすら届かないと思っていたから。



気付いたら、バスで5合目だった。
もちろんたくさん悔しい思いもしたり、この僕がトイレで泣いたりもした。
でも、ぜんぶ山の中だった。夢の中だった。



「人生、どうしよう?」



◎◎◎◎◎



子どもの頃は、将来の夢なんてなかった。
親はふたりともお堅めな職だったし、親族もたいていは公務員か工業系。
小中学校のちっさいエリアの中だったら、それなりに勉強できるほうに分類された。
そのままそれなりに就職の試験を受けて、それなりの暮らしをするのかと。
サラリーマン家庭の暮らしを知らなかったけれど、いずれはサラリーマンになるのだと思っていた。




職場体験は消防署だった。くじで、残り物。


高所恐怖症なのに地上10mをロープ一本で渡らされた、死ぬかと思った。
ロープから落ちたら自力で上がれとのことだったが、上がれる自信なんてなかった。

煙が充満して何も見えない筒のなかを酸素ボンベを背負って潜り抜ける訓練もした。
本当に何も見えない、それだけでも訳わからんのに背中の酸素ボンベがこれまた重い。
消防士さんを尊敬とかじゃない、絶対に消防士にはならないとだけ心に決めた。




高校は、普通科。普通に、普通科
どうやって生きていくかなんて決められなかったから普通科
それが普通だと思うし、それでいいと思う。




そこでもまた、それなりには勉強できるほうに分類されて。
家庭科の先生に一方的に恋に落ち、ラフに好きですとも伝えたね。
下の名前が母と同じだったので、もし万が一結婚できても母と妻が同姓同名ということだけは、18歳の僕でも分かった。




で、ここでやっと気付いた。
「大学には、普通科がない。」




普通科な人生が終了した。
「どうしよう?」
「ちっさい頃から好きだったものは、なんだろう?」
「サッカーか、テレビか…」
「大学でサッカー…?じゃ、テレビで。」



とりあえず、東京には行くのだろう。それだけは分かった。
気付いている人はいるだろうけど、結局学校は湘南だったし、京都の大学も視野に入れてればな…と今は思う。
経済学部と経営学部を食わず嫌いして、文学部か社会学部。いつのまにか、情報学部。
六大学の文学部仏文科指定校推薦、あと一歩で英語科の生徒会へと。




普通科じゃなくなってから4年。



心理学
社会学
社会心理学
番組制作
映像編集
言語コミュニケーション論
非言語コミュニケーション論
映画論
出版論
広告論
新聞論(唯一落とした)
スペイン語



それが実ったのか、CG映像制作会社。社内では、なんでも屋。




ADになって30歳手前まで「三日ぶりのお風呂、一週間ぶりの家」みたいな暮らしを覚悟して群馬から出てきたので、
まいにち終電だったけれども、想像よりはよい暮らしと認識していた3年間。




よい暮らし、というか夢の中だったんです。
ちっさいときに観てたものを、いつのまにか自分が作ってた。
うれしかった。たのしかった。いいものを作ろう、その次はもっといいものを作ろう。




普通だったら、そこで暮らすのだと思う。夢の中で。
普通科じゃない間に普通でもいいし普通でなくてもいいと知った僕は、夢の外へ一歩進んでみたわけです。




それでは聴いてください、星野源で『夢の外へ』。
(この曲で結婚パーティー、入場したなぁ…)



www.youtube.com




あとは僕の普通は群馬の普通であって、東京の普通は僕の普通とはちょっと違っていたのだとは思う。
関西は、やっぱり関東と500km離れてた。実家に帰る回数も減っちゃって。



ちっさい映画館でひとりで働く暮らしをしたり、
街のはずれの洋食屋さんで働く暮らしをしたり、
ひとり暮らしからふたり暮らしになったり。



今はフランス料理屋さんで働いて、お店や結婚式でお料理を出しています。
料理を作るだけじゃなくて、サービスもひとつずつ勉強して、ワインも呑んで呑まれて。



一歩踏み出したから、その分学んでいます。
苦しいこともあるけれど、だからこそ血となり肉となる。
夢の後の、夢の中で、暮らしています。



自分のお店で、家族や自分のために、食べものを作っていく。
この夢なら、夢の後がやってこないはず。



◎◎◎◎◎



この前、車を運転していたらラジオからデビッド・ボウイの『changes』という曲が流れてきて。
それからずっと頭のなか、チェチェチェです。
こんなやさしい歌を歌うのね、デビッドは。もっと激しい歌を歌うのかと思っていた。



www.youtube.com




いろんな人に出会って、たいせつな関係もあります。
みんなは、夢の後はどうするの?